自己分析の大切さ

火曜日担当の伊藤です!

皆様、いかがお過ごしでしょうか?
私は汗っかきでありながら髪質が極度の天然パーマなので、
ぐるんぐるんになる髪と毎日攻防を繰り広げております...(笑)

私は、アートやスポーツやサブカルチャーなど、あらゆる分野をかいつまんで調べる日課があるのですが、
あらゆる分野で実績を残されている方に共通することは、自己分析に長けていることなのではないかと思います(上から目線のような形ですみません!)。

例えば、俊足で身体の柔軟性がありつつも、下半身の筋力が弱く体質的に太りづらい野球選手がいた場合、
その選手がホームランバッターに憧れても、現実的に目指すのが困難かもしれません。
もちろん何が起こるか分からないので、ハードなトレーニングでパンプアップさせれば実現できるかもしれません。

しかし、きっとその選手は、俊足やリストの柔らかさなど、自分にしかない才能や素質を十分鑑みると、日本有数のアベレージヒッター、リードオフマンになれるかもしれないのです。なかなか日の目を浴びなくても、そちらの方向に振り切った瞬間に花が開くこともあると思います。


イチロー選手も、日本時代も凄まじい成績を残されていましたが、メジャーリーグに行ってから、ホームランや長打よりも、
誰にも負けないヒットを打つ技術にフォーカスを絞り、ついには世界一の安打製造器になりました。
もし、日本時代のスタイルのままだったらそうなっていたかは分かりません。
きっと、毎日毎日血のにじむような努力とともに、自分自身と極限まで対話して向き合い続けてきた結果が、この伝説的な記録なのだと思うと、日本中世界中に感動を与えるイチロー選手の偉大さを改めて実感致します。日本が誇る大スターですね。


「やりたいこと」「できること」「やれること」というのは、それぞれ違うなのだと思います。
"これをやりたい"というものがあっても、全くそれをやれる能力がなくては成り立ちませんし、
"これができる"というのがあっても、そこに需要がないと商売にならなかったりしますね。

しかし、"これをやりたい""これができる"というのは、それぞれモチベーションや自信になりますから、大事にしなくてはなりません。
その意欲や自信を活かすためには、
まず自分がどんな才能があるのだろう?どんな能力があるのだろう?またはその能力を持てる素質があるのだろう?という見極めが大事になると思います。

ただ、なかなか自分自身では気づけないことが多いですね...。
そういうとき、周りの友人や家族など、大切な人たちとの会話の中にヒントがあると思うのです。
自分が話してるとき、どんな時に相手が笑顔になってくれているだろう?ということや、
○○、ここがダメだよね~!(笑)のような笑い話は裏返しにとって、逆にそうでないところが魅力だったり、
気を遣わない関係だからこそ気づかさせてくれることがありますね。


直接仕事と関係なかったり、他愛もない笑い話ができる友人や仲間が、自分自身が成長できるきっかけをくれたりするので、
本当に"縁"はひとつひとつ大事にして、その縁を楽しめると人生も楽しめるようになってくるのだな、と思います。

私は、色々おろそかにしてきてしまいましたが、最近ようやく縁の大事さに気づきまして、色々な方に感謝とそして一緒に話せる楽しさを噛みしめるようになりました。



また長くなってしまいましたが、自分にしかできないことで誰かを笑顔にできることって、すべての方にあると私は思っています!
私も、そのような人物になれるように、日々頑張ります!!

シンギュラリティ

火曜日担当の伊藤です!

皆さん、「シンギュラリティ」という言葉はご存知ですか?
SF小説などがお好きな方は耳にしたことがあるかもしれませんが、
アンドロイドが人間の知能を越えると予測される、技術的特異点のことです。
それは、2045年に訪れるのではないかと予想されています。

シンギュラリティは様々な芸術作品の構想元になっていまして(主に映画が多いですね)、
AIが人間を越えたときに世界のバランスが崩れる、というストーリーに帰着することが多いように思います。

しかし私は、仮にそうなっても変わらないものは何だろう?
と、逆のことが気になります。


きっと、人間が環境に左右されず自分自身で楽しむことは、変わらないのではないかと思います。
例えば、大自然の中、仲間達とゴルフする!暑いね~と言いながらビール飲んで、バーディーで喜ぶ!OB打って落ち込む!など(笑)、そこにアンドロイドの驚異的な知能が加わろうと、きっと楽しむ気持ちは変わりませんね。

スポーツは、自分自身が自分の力量や感性の中で楽しんで、仲間と親交深めたり、自分の精神を鍛えたり、
はるか昔から本質的なところは変わっていないように思います(道具の技術革新はもちろんありますね)。

音楽も、技術が発展して多重録音ができるようになったり、シンセサイザーが発明されたり、ここ50年でサウンドとしては変容がありましたが、「ある音楽が、自分の人生を救ってくれる、元気づけてくれる」という事実はずっと変わっていないように思います。


どんなに時代が変わっても本質が素晴らしいもの=エバーグリーンなものこそ、自分の人生を、誰かの人生を彩るのだと思います!

スポーツや娯楽や芸術などの趣味は、何十年も人生を豊かにしてくれる一生の宝物ですね!
私も、常にスポーツなどで仲間と笑いながら楽しく過ごす時間というものの有り難みをもっと感じられるように、もっと大きな人間になろうと思います!

浴衣祭を経て感じた様々なこと

火曜日担当の伊藤です!

遅くなりましたが、7/22(土)の浴衣祭にご来場いただきました皆様、誠に有り難うございました。
前川氏によるマジック&催眠ショーとともに、私伊藤も弾き語りライブをさせていただきました。

今でこそDAWでテクノやエレクトロ系統の音楽を作っている私ですが、
思えば音楽人生の始まりはクラシックピアノであり、その後はずっとピアノ弾き語りをやっておりました。

ピアノコンクールで入賞したり、文化祭で歌ったりしながら、14歳頃から本格的に音楽制作にのめり込み、
トントン拍子で某レコード会社の育成になったり、音楽の甲子園と呼ばれる大会に2連続出場し、2年目はファイナルまで進みました。

しかし、その後大学に入ってあたりからなかなか運命が前に転がっていきませんでした。
それは、私の慢心と、考えの浅さが大きかったのだと今となっては思います。

歳を重ねていけばいくほど、巡ってくるチャンスは減っていきます。何事においてもそうだと思います。
しかし、若いときはそのチャンスをチャンスだと気付かずに、その時の出会いに全力で向き合わなかったり、薄く浅い考えて過ごしてしまいがちです。
数々のチャンスを、ほんの少しの成果で満足し、ふいにしてきました。


チャンスを掴む、夢を掴むということは、"チャンスに気付く"ということだと思います。
運が良い人というのは、少ないチャンスを、"これはチャンスだ"と気付ける人のことだと思います。


歳を重ねると、チャンスは少なくなっていくかもしれませんが、その分経験を積み、
ひとつひとつの出会いの大事さ、一個の出来事にどれほど熱量を注いで、後悔してはならないか、学んで俯瞰できる人間になります。

私は、まだまだ若いと言われることもありますが、今作っている音楽は昔のように行き当たりばったりでなく、腰を落ち着けて作れており、ようやく満足のいく作品が作れて参りました。
大器晩成という言葉に相応しい人間になりたい思います。大器晩成は、とてもポジティブな言葉ですね!


10年近く、周りからは"下積み"と言われることもありますが、私は熟成させるべき時間だったのだと思います。
ようやく、スタートラインに立てたような気がします。


皆様も、色々と日常生活で悩むことや焦燥感に駆られることもあると思いますが、今日から新しい一歩を踏み出せると私は信じています。
頑張っていきましょう!!

三角形と人生の黄金期

火曜日担当の伊藤です!

スポーツ選手の黄金期は、心・技・体のバランスが整ったときだと言われますね!
体力消耗の激しいスポーツの場合も、実際の体力のピークは20代前半でも、うまく身体や精神をコントロールできる20代後半から30代前半がピークになる選手も多くいらっしゃいます。

これは、きっとスポーツの世界以外にも言えることで、どれか一つの能力があっても、三角形のバランスが良くないと、才能を発揮できないケースが多いのではないかと思います。
頭でっかちになりすぎても、意欲だけが先行しても、何も考えず行動していても、なかなか結果が現れないものですね。

非常に難しいですが、「目的は何か」「そのために自分は何の能力を持っているか」「その能力をどう活かすか」すべてをバランスよく見極められたとき、ある種の悟りに達して、今まで苦労していたことが急にするすると報われる瞬間がくる、といいます。


また音楽の話になってしまいますが、
優れたロックアーティストは、「サウンド」「ビジュアル」「バーバル(言葉)」の三つのバランスが取れていると聞きます。
例えば、長髪で髭たくさん生えて筋肉質のビジュアルの人が、激しいヘヴィメタルやハードロックをやれば合いますが、可愛いポップソングを歌ったらどう考えても似合いません(逆にギャップがあって良いということももちろん稀にありますね)。

労働者階級の目線から社会に問うていたボブ・ディランが、もし擦れたジーンズではなくキラキラ金色のジャケットに高級時計に指輪などで身を固めていたら、説得力が無くなっていたかもしれません。


こじんまりバランスを取るのではなく、攻めの姿勢を持ちつつ三角形のバランスが取れている方は、人の心を動かす力があるのだと思います。

私も、次第にそういう人間でありたいと思いますし、そうであれるように日々精進していこうと思います!



7/22の浴衣祭にいらして下さった方、どうも有り難うございました!

料理と音楽作りは似ている?

火曜日担当の伊藤です!

とある音楽家の方からお聞きしたのですが
「音楽を制作することと、料理することは本質的に同じことだ」という話がありました。

音楽を制作するということは、ほんの少しの天性のセンスと、あとはいかに研究熱心に過去の偉人から学べるか、ということが鍵になると思います。研究したものや見つけた法則を、オリジナルの中にどう落とし込むかも結局はセンスになってしまいますが、そこは一旦置いておきましょう。


美味しい料理を作ろうとしたとき、音楽を作るときと全く同じ工程を踏みます。
どのような火の入れ方をすれば美味しく焼き上がるか?どのようなスパイスを入れたらプロの味に仕上がるか?
あの時使ったあのレシピのやり方を、この料理に使ってみたらどうなるか?というひらめきなどは、

ビートルズが使ったあのコード進行をこの曲に転用してみたらどうなるだろうか?
ここの場面だけジャズ的なコード進行でフックをつけたら印象が際立つだろうか?
小さい頃クラシックやっていたから、そのエッセンスを少し入れたら面白くなるだろうか?など、

色々な音楽家が経験する場面は、すべて料理を作る時間の中でも置き換えられます。


その話をある音楽家から受けた時、私も俄然納得致しました。
私も料理することが好きで、むしろ作ることでストレスを発散できる部分もあるほどですが、
それは作曲したときに起こるカタルシスと同等のものだったからだ、と気付きました。
(ちなみに、小学校まで好き嫌いが多くご飯と卵と納豆と牛乳以外なにも食べられなかった超偏食家の私だったので、料理にハマるなんて自分でも驚くことでした)

そして、自分一人で食べて満足するときもありますが、やはり美味しいといった表情で食べてくれる誰かがいたとき、
至上の喜びになります。それは、音楽も料理も同じことですね。


きっと、私が今後新しくハマる趣味も、同じような喜びを感じられるものなのだろうなと思います。


逆に考えると、料理作るのが大好きな方は、きっと音楽作りにも夢中になる才能や素質をお持ちでいらっしゃるということだと思うので、興味がある方はぜひやってみると面白いかもしれませんね!


フロント伊藤
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